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やりこみと解脱と念仏

芸事やスポーツ、武道など、稽古と熟練の必要な分野で大成した人というのは一種共通した何かを持っている。そんなことを、押尾コータローのCDを聴きながら思った。

後に(僕の好むやり方で)大成する運命にある人は、ある時期にとんでもない集中力で、たっぷりと時間をかけて、それこそ寝てもさめてもそればっかりを突き詰めていく。

ただ集中して練習するだけではなく、試行錯誤を繰り返し、いろんな限界に挑戦して、あるときは失敗したりして、でもめげないで、ひたすらに自分の内側やその対象の深遠に向かって掘り進んでいく。その姿は傍から見れば狂気に近い。

ギター一本でボレロを弾いてみたりするのも、ただボレロをやりたいなら二人とか三人で弾けばいいようなものだけど、そういう行為には人に説明できるような理由はなく、「やりたいから」だけなんじゃないかと想像する。
イチローがバッティングフォームに試行錯誤するのも、世界的に有名なある手品師が若い頃にひたすら巨大トランプを出し続けたのも、そういう時期のことであって、逆に言えばそんな「まだ途中」にあるにも関わらず一定以上の成果を残せてしまうほどの狂気の強さが、(僕の好む種類の)大成には必要なのだろう。

また、直接的な成果(音楽性とか、打率とか、入賞とか)が芳しくないとしても、そういう狂気の様そのものに魅せられてしまう人もいて、そういう人は後で少しさびしい思いをすることになったりもする。


そして、そうやって突き詰めていったある頃、急に彼は「解脱」あるいは「方向転換」する。僕にはその世界を想像することが難しいけれど、その結果はわかる。彼がギターをポロンと一音鳴らせば観客はうっとりとし、彼が力まず打った打球はことごとく内野手の間を抜け、彼がトランプをただファンに開いただけでどよめきと拍手が起こる。

その状態に達した人を数値的に分析していけば、弦に爪が当たる角度や音符のカドのところの数十分の一秒の出し入れだとか、バットの始動時期と視界の移動とか、体の使い方と手の表情と目線の配り方とタイミングだとかそういうものになるのかも知れないけれど、その極意を直接に求めていたのではおそらくそれを手に入れることはできず、結局あの狂気の時期の延長線上にしかないのだろう。


違うようで同じなんじゃないかと思えるのは法然上人が言った言葉で、上人が死ぬ間際に、つまり彼が自らの信仰の総決算として遺した文章にも「ただひたすらに念仏すべし」とある。中学で(浄土宗の学校だったので)習ったときにはそんなことでいいんだろうか、ただ唱えるだけじゃだめなんじゃないのかと思ったものだが、きっといいんだろう。そのかわり意味とか全然わからなくても、それこそバカみたいに唱えまくるんだということなんじゃないだろうか。


ちなみに僕が手品や大道芸をやりこんでいた時期は非常に短く、傍から見ればバカじゃないかと思える程度にはやりこんでいたけれど、大成するにはまったくもって全然浅く、その上「解脱した人」を間近で見てしまったときに楽をしようとして極意を直接求めようとしてポキンと折れてしまった。ヘタレだった。
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by tockri | 2005-12-28 12:51 | ├ かんがえごと
 
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