アタマの自然体

高校の体育で柔道の先生が言っていた。柔道は相手の重心をいかに崩すかがミソで、最も重心が崩されにくいのはどの方向に力をかけられても対応できる自然体なんだって。


いつも「アタマの自然体」ということを考えている。

体の重心が崩れて傾いてたら転んだりして痛いから自分が崩れてるってわかりやすいけど、思考の重心が崩れて傾いていても、表面的に何も起こらないから自分で気づきにくい。

もともと「批判の精神」を言い出した人が誰なのか残念ながら僕は知らない。でも世の中の事象に対して「あれ?それはちょっと理不尽じゃないか、道理に適ってないんじゃないか、論理的にまちがってないか」と気づいて批判するのには、気づくだけの知識、常識、論理性が必要だというのはみんな知ってること。

自分はそういうのに秀でてるぜとアピールしたい人にありがちなのは、最初から「よーし批判してやるぜ、ツッコミどころ探しちゃうぜ」と思いっきり身構えてあたってしまうパターン。最初からそっちの方向に重心が傾いてるから、ちょっときっかけがあればゴロゴロと転がっていってしまう。

また言い返してこない個人や大きな団体なんかのアラを探して「批判」するのって気持ちいいんだこれが。自分がその対象より偉くなった気分を満喫してゴロゴロゴロ。さらにその中でちょっと洒落たレトリックや皮肉げな言い回しなんかが使えると気持ちよすぎて病みつきになってしまう。

もちろん、読んでいて「ははぁ、なるほどねえ」とうなづくことも多いのだけど、ツッコミどころを探すのに夢中になるあまり、ブログの見出しとか他の誰かの書き込みとかグーグル先生とか、そういう少しの材料だけであとは妄想で育てた瑕疵に対して力一杯こきおろしてるんじゃないのかと思うことも多い。気持ちよさそう。「鬼の首取ったように」ってほんと上手い比喩だなあ。昔のヒトさすが。


で、自然体のハナシ。

人の意見や世の中の事象に対してとるべき態度は、まずはアタマを自然体にして一生懸命それを理解しようとすることだと思う。

その上で、自分のその時点でもっている知識と常識と論理のアンテナにひっかかったものがあれば批判し、とくになければ「その通りだな」と賛同すればいい。下手に背伸びするとよくない。

あと、自然体で向き合っていないと、最初にみつけた細かくてわかりやすい点に対して夢中になって転がっていってしまって、周囲の状況とかいろいろ含めた大きくて気づきにくくて最も重要な点を見逃しやすいのにも注意したい。
[PR]
by tockri | 2005-01-30 16:16 | ├ かんがえごと
移転しました。
by tockri
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新のトラックバック
[media][gove..
from bewaad institu..
甘やかされた男たち
from とっくりばー
~が下手
from たのしい検索・ゆかいな検索
例えバトン
from ひまわりてんびんへの道
例えバトン
from 明日は明日のホラを吹く-To..
リンク
ライセンス

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

このブログのテキストおよび画像は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。




検索
ファン
ブログジャンル
画像一覧