とかくにこの世は住みにくい

最近の「自己責任」「個人の自由選択」って流れはどうにも自分で自分の首を絞めてるような、社会全体をじわじわと殺してるような、少しの不利益をヒステリックに拒否するあまりに知らないうちに大きな不利益を被ってるような、そんなように感じられてならない。




「個性を伸ばす教育」ってやつでは、国語や数学や理科や社会が得意だという、普通に社会にとって有益な個性は伸ばしてくれない。一方で、大学を独立採算制にして「受験生にとって魅力のある大学の独自性」を出せという。どうも今は国語や数学や(略)の研究が優れている、というのは独自性とはいわれないらしい。社会、少なくとも経済の発展には一番寄与しそうなファクターなのに。

受験生は、その学力以外でも「好み」にしたがって学校を選ばなければならない。昔ならものすごく勉強の出来る子は東大、その下は早稲田か慶応、なんていう順位だけを気にしていられたのに。


「成果を上げたら給料上げてやる」って成果主義では、成果を上げない限りいつまでも賃金を上げなくていいという口実を会社に与えてしまった。30年前だったら、たいていのサラリーマンは普通に頑張って仕事すればそのうち家が買えたわけだけども、今は買えない。年収300万や400万のまんまじゃ妻と子供がいて、家とかムリだから。しぜん、共働きじゃないと食っていけなくて、こんどは子供まで、どっちへ転がるかわかんないうちから個人であることを強要される。


病院に行くと、病状だけでなく、その人の希望に合わせていくつものプランがあり、薬や治療行為について綿密な説明をまくしたてられて、はいと肯くと「同意した」ことになってしまう。それで例えば
「確かに延命治療しないって言ったけど、こんな苦しそうだなんて知らなかったんだよもっと楽にしてあげてよ!」
なんて思っても、でも同意しちゃってるんだしうーんうーんなんて悩んだりして。

昔だったら「先生にお任せします」ということで、たとえそれによって何かしらの不利益を被っても、任せたんだからそれでも仕方ない、だって任せる以外にないじゃないかという納得の仕方をしていられたのに。


「一人一人に合わせた」「選択の自由」という麗しい言葉の裏には、「選んだ自分が悪いんだぜ」という脅迫がある。

また、選択肢を提示する側も「これ選んじゃうと実は大変なんだけどねー」とか思ってても口には出さず、「まああんたがどうしてもっていうなら選んでもいいよー」なんてノリで提示してたりする。だって自分は責められないんだもの。親身になんかなる必要がない。

「よきにはからってくれる」社会から、「個人が選択する」社会に変化していくと言うことは、つまり、選択するために相応のエネルギーをつぎ込んで調べたり理解したり考えたりしなければならないということで、それだけ個人にとって実は負担が大きい。

自分が真に注力したいこと以外は、適当に、多少の不利益はあっても、親身になってよきにはからってくれる社会の方が住みやすいと思うのだけど。
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by tockri | 2005-08-21 17:10 | ├ かんがえごと
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