テキストで論戦ができない構造

ずーっと前に書いたことの使い回し…

賛成意見は理解しやすい。反対意見は理解しにくい。
これは感情の問題ではなくて、単純に仕組みとしてそうなってる。

賛成意見はもともとの自分の意見と同じことなので、基本的に一通りしかない。反対意見はもともとの自分の意見と違うわけだけど、
「違う部分」
「違い方」
「相手の主張」
の組み合わせの数だけ、つまり無数にある。

たとえば。
「人を殺すのは、殺される人が可哀想だから、悪いことです」
に対して、賛成意見は一通りしか作れない。
「その通りです」

でも反対意見は、どこが違うのかを挙げるだけでも
「殺して悪いのは人だけじゃない」
「可哀想だから悪いわけじゃない」
「人を殺すことは悪いことじゃない」
たくさんできる。これに各人の主張を織り交ぜていけばたったこれだけの命題に対して無数の反対意見を作れる。


反対意見が述べられた場合、それに対して対応する必要または欲求が生まれるのだけど、こういうわけで相手の言いたいことを正しく受け取ること自体がまず難しい。

意見を言う側にしたって言いたいことを100%的確に言葉になんてできているはずがないから、曖昧だったり多義だったり欠落していたりしてますます受け取りづらい。

そこに感情が入ってきて、誰だって自分への反対意見が完全に正しいなんて思いたくないというフィルターがかかるから、もうその反対意見を意図通りに受け取るのは不可能に近い。


「あなたの意見(行動)はこれこれこういうわけで間違ってる」
「そうかも知れないけどこれこれっていうのもどうなんです」
「いや私はそういうつもりで言ったんじゃなくてこれこれで」
「あなたの言いたいのはつまりこういうことですか」
「いやいや違う、そうじゃなくて」
意見に対する意見、共通認識に至るまでの道のりは遠く険しい。

まだ面と向かって話してるならいい。「相手の理解は自分の意図したものではない」と感じた瞬間に遮って修正できるから。

これがテキストになると、もう悲惨。お互いがお互いの主張を理解できないせいで生じるズレは修正されることもなく、共通認識からは遙かかけ離れたところまで広がっていく。

互いに誠実であろうとすればするほどテキストの量は多くなり、一往復のやりとりで生じるズレは大きくなる。意見そのものよりズレの修正だけで疲れはててしまう。


ビジネスの場では、お互いの共通の目的【儲ける】を達成するためにはそんな疲れるコミュニケーションだってやらなきゃ仕方がない。また、理解力があきらかに足りない人を弾劾することだって場合によっては可能だ。

ビジネス以外の場では…最初から疲れると解ってることをやらずに済ませることができる。そもそも反対意見を持つ二人に共通の目的がないのだから、反対意見を言うこと自体、相手を説得すること自体が多くの場合不毛だ。
(もちろんして悪いことはない。したい人はどんどんすればいい。)
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by tockri | 2005-05-12 09:18 | ├ かんがえごと
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